私の両親が離婚し私たち兄弟と母の3人は母の実家に身を寄せました
そこには3人の老家族がいました
ひいばあさん
旦那のひい爺さんはすでに亡くなってます
ひいばあさんはなんと明治生まれです
すでに衰えていましたがすごく優しかったです
物価の上昇でひいばあさんの年金はものすごく価値がなくなりました
私はお菓子が欲しいというと「これで買っておいで」と1円渡されたことがあります
最安のうまい棒やチロルチョコでも10円、なにも買えなかったです
祖父
じいさんは元海兵で太平洋戦争で船を撃沈され漂流しました
我慢しきれず海水を飲んだため内臓に疾患を抱えました
春吉じいさんが鍛冶屋と農家の兼業だったのでのんびりやれる農家を継ぎました
親戚の自動車屋に頼んでお手伝いもしてました
そこは立派だと思います
しかしじいさんは所かまわずたばこを吸う人でした
結果家族の男性が残らずタバコを吸い、私もまだ喫煙者です
くれよんしんちゃんの野原ひろしの禁煙説はいくつもありたぶん全部正解です
まず奥さんにうるさく言われてました
しんちゃんの妹のひまわりが生まれタバコは問題とひろしも考えました
PTAからの圧力もあったようです
そしてひろしはひまわりの産婦人科のゴミ箱にタバコを捨て禁煙しました
じいさんがそうだったら我が家はタバコの被害は減ったでしょう
つまり我が家がのような家と比較なら「たばこが大間違い」だと言いたいんでしょう
ちなみに足はものすごくくさいです
祖母
山の民の出です
ものすごい働き者であられ工場なんて重労働現場で働いてました
あられ工場なんか当時は冬でも50℃
ばあさんまじで力こぶがすごかったです
定年以後もネジの袋詰めのパートをしました
マジで働かないといられない人でした
こんだけやって趣味まである、踊りと大正琴
踊りつながりで私が買ったダンスゲーに興味もったことがあります
DDRというゲームで足ふみマットもありました
70代で挑戦したのでうまいわけはない
しかし一番簡単なステージをクリアしたときの満面の笑みは忘れません
この3人に母と私と弟の3人を加えた6人家族でしたが家は十分広かったです
私は完全にぼんぼん育ちになりました
母には兄がいました
兄=私の叔父は遊ぶのが得意で子供の相手のうまい実業家
叔父は私たち子供のヒーローでした
まさにくれよんしんちゃんが大人になったような人でした